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草間彌生の生い立ちや結婚、水玉の理由は?調べたら壮絶だった…

水玉やかぼちゃの作品で有名な草間彌生さんですが、プライベートな部分はあまり表に出てこないので知らない方も多いのではないでしょうか。

でも、あんな奇抜な作品を生み出す人は普通とは違う人生を送っていそう…。

調べてみたら思ってた以上に過酷な人生を歩んできた人でした。

この記事ではそんな草間彌生さんのプライベートな部分を紹介していきます!

草間彌生の生い立ちについて

引用:https://media.thisisgallery.com/20187748

草間彌生さんの生い立ちを見ていきましょう。

誕生日1929年3月22日
出身地長野県松本市
学歴京都市立美術工芸学校卒業

記事執筆時点で90歳です。長生きですね!

草間彌生さんは長野県松本市の松本駅近くの種苗業を営む裕福な家に生まれました。近所には広大な花畑が広がっていて、花畑をスケッチすることが日課となっていたようです。素敵な過ごし方ですね。

ですが、その一方で草間さんに暗い影が忍び寄ります。

視界が水玉や網目に覆われて、動植物が人間の声で話しかけてくる幻覚や幻聴に悩まされることになってしまいます。医学博士西丸四方が診断したところによると、この症状は統合失調症が原因とのこと。

統合失調症になってしまった原因の一つとして考えられているのが、母親の影響です。幼い頃に母親から身体的虐待を受けていて苦しんだと草間彌生さん自身が話しています。父親は放蕩癖があり、そのストレスからか母親はすぐに激高し不安定な状態が多かったそうです。

裕福な家だからといって平穏とは限りませんね。

そのような家庭で育ったことで統合失調症になってしまったと考えられています。(もちろん他の理由もあるかもしれません。)

草間彌生が水玉を描く理由

引用:https://media.thisisgallery.com/20187748

統合失調症により水玉や網目の幻覚に襲われてしまうことから逃れるために、それらをモチーフにした絵を描き始めるようになります。今でも水玉をモチーフにした作品を生み出していますが、これは幻覚や幻聴から身を守るための儀式であるそうです。

耳なし芳一が幽霊から身を守るために全身を経で埋め尽くしたのと同じですね。

今でも水玉をモチーフにするということは今でも幻覚や幻聴があるのでしょうか。幼い頃からずっと幻覚や幻聴があるなんて考えただけでも発狂しそうです。

日本画を学び絵画技法を身に付ける

引用:https://media.thisisgallery.com/20187748

小学校卒業後は、松本高等女学校に入学。そこの美術教師で日本画家の日比野霞径さんと出会います。日々野さんは草間彌生さんの絵を評価し、草間さんの両親に絵の道に進むように説得するため自宅を何度も訪ねたそうです。

1945年の16歳の時には「第一回全信州美術展覧会」で入選しています。

松本高等女学校を卒業後は京都市立美術工芸学校に進んで日本画を学びます。絵画技法を身に付けますが、日本画の厳しい上下関係から湧き上がる恐怖があり、この時期は「吐き気をもよおすもの」だとのちに本人が語っています。

この時の恐怖も水玉と同じように恐怖のイメージを描きとめていたそうです。

卒業後は松本に帰り、技法や素材の壁を越えて独自の表現方法へ挑戦するように毎日数十枚を描くことに没頭します。

松本で個展を開くようになると、絵を評価してくれる人が現れ、白木屋百貨店とのツテも得られるようになりました。その後も個展を開催し、このころからぐっと知名度が上がるようになります。美術評論家である瀧口修造の関わるタケミヤ画廊でも個展を開くと、滝口が第18回交際水彩画ビエンナーレへ草間を紹介してくれて、渡米への糸口になりました。このころは素描のほかにコラージュなども量産します。

1957年に渡米して、日本の閉塞感から逃れられた草間さんは水を得た魚のように活動をするようになります。

渡米し、世界的にも評価を受ける

引用:https://bonvoyagejapan.com/artist-yayoi-kusama-history/

草間さんは渡米すると、精力的に活動し、やがて代表作である「無限の網」を発表すると注目をあびるようになります。この「無限の網」はフランク・ステラという人が自前で購入し長く手放さなかったこともあり、美術史的価値が非常に高いものとなりました。(今ではワシントンのナショナルギャラリーに収蔵されています。)

その後も草間さんは絵画の枠を超えた芸術活動をするようになります。

男根状のオブジェを既製品に貼り付けた作品や「ハプニング」と称される過激なパフォーマンスを実行。なんでも、全裸の男女に水玉を描いて、屋外でヌード・デモをしたりしていたそうです。

過激ですねえ。

ニューヨークでは高い評価を受けましたが、当時の日本ではバッシングを受けるようになってしまいました。日本人にはあまり受け入れにくいでしょうから納得の反応ではあります。

高い評価を受けてはいましたが、ニューヨークでもバッシングを受けることもありました。

それでも草間さんは自分の芸術を曲げることはありません。単に目立ちたいという理由からではなく、金もうけ第一の資本主義やベトナム戦争を廃絶させたいという強い思いが作品に込められていたからです。

このようなコメントを残しています。

餓えや犯罪が戦争につながるように、セックスの抑圧も、人間の本当の姿を押し曲げ、人間を戦争に駆り立てる遠因になっている

バッシングはあったものの、彼女が訴えるメッセージは徐々に受け入れられるようになっていきます。

草間彌生は結婚してるの?

引用:https://media.thisisgallery.com/20187748

草間彌生さんは結婚をしているのでしょうか?気になるところですね。

調べたところ結婚はしておりませんでした。ですが、パートナーと言われていた男性がいました。それはジョゼフ・コーネルという前衛芸術家です。芸術家同士のカップルですね。

ですが1973年、ジョゼフ・コーネルが心臓の疾患により突然亡くなってしまいます。相当なショックだったのでしょう。草間彌生さんは体調を崩してしまい、日本に帰国することになります。

帰国後は入院するほど弱ってしまい、しばらくの間は創作活動ができないほどでした。

ニューヨークにいたころは過激なパフォーマンス活動をしていた草間さんですが、帰国後は保守的になっていきます。また、これまでの活動とは違い、詩集や自伝などの著作活動も行うようになっていきます。

入院しながらも作品を作り続け、個展も開催しています。このころの作品から感じられるのはズバリ「死」です。ジョゼフ・コーネルの死や自分自身の病気を通して彼女の死生観がはっきりした時期といえるでしょう。

現在までの作品作り

引用:https://media.thisisgallery.com/20187748

一時は日本からもアメリカからも忘れられてしまった草間さんですが、1989年にニューヨークで開催された「草間彌生回顧展」で再評価されることになります。それをきっかけに草間彌生さんは世界で再ブレイクすることになります。2008年には作品が510万ドルで落札され、現役女性アーティストでは最高記録となりました。

2016年には「タイム」誌の「世界で最も影響力のある100人」に日本人で唯一選ばれました。ルイヴィトンやフェラガモとコラボするなどデザイナーとしても活動しています。

再ブレイクを果たした草間彌生さんですが、現在はどのような暮らしなのでしょうか。1977年頃から現在までなんと精神病院で暮らしているそうです。

昼間は精神病院の向かいにある作業スペースで作品作りをして、知らない人とはなるべく会わない生活をしているとのこと。

入院している理由は「恐慌性障害(パニック障害)」の症状が原因です。作品作りをしている時は症状が出ないらしく現在でも作品作りを続けているそうです。

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まとめ

草間彌生さんの生い立ちや結婚しているのか?ということについて紹介しました。

幼いころから病気に悩まされるなど過酷な生涯を送ってきている人でした。現在も入院生活をしているのは驚きでしたね。

草間彌生さんの作品は独特の色使いと水玉で、正直今まではあまり興味をひかれなかったのですが、この過酷な生い立ちや水玉を描く背景を知ると今までとは違った視点で見てしまいます。今後草間彌生さんの個展があったら行ってみたいと思いました。

 

 

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